山口百恵「夢のあとさき」1980/04/13 ② 「としごろ」レコーディング

デビュー前、歌のレッスンのこと

デビュー前の百恵ちゃんに
歌のレッスンをしたのは都倉俊一先生。

4月13日のラジオでは、
都倉先生に
当時の百恵ちゃんについて
語ってもらった音声が放送されました

「彼女が引退するって聞いて非常に残念」と
締めくくっていらっしゃいました

そのコメントにつづいての
百恵ちゃんのお話しが以下のような内容です

というわけでして。
ええ(笑)ホントに今だから言えるっていう話なんですけどもね。

また当時のあたしは、そうですね、音域が非常に狭かったんです。
やはり1曲の歌を作るときに、その歌い手さんにね、「どっからどこまでの音がちゃんとでるか」ってことをまず調べてからでないと曲を作れないんですよね。

その時に本当に、片手の親指から小指までをいっぱいに広げてぽんってやってしまえば、、、届く、鍵盤にね、ぽんと全部、わーっと渡ってしまうぐらいの音域しかなかったんですよ、とりあえず。

でまあ、こういう音域じゃあんまり曲もできないな、みたいなことをね(笑)うちのディレクターだったかな、言われた覚えが(笑)あるんですけれども。

まあそれでもなんというか、一応発声練習とかそういうのは通ってたんですけどね。でも、、、レッスンをしたからといってやはり1週間2週間で急に声がでるわけでもないし。まあ、だから、、、難しかったんでしょうね。

ほんとに、、、いろいろ、うふふ(笑)苦労をかけて申し訳ありませんでした。当時は、あの非常に、なんというか、恥ております。

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.13放送より)

 うふふ(笑)苦労をかけて申し訳ありませんでした 

(ラジオ音源からなるべく忠実に
笑いや間も文字にしてみました)

「恥じております」と
潔いお言葉をサクッと言うんですね

想像するに、、、
デビュー前レッスンでは
なにかとダメ出しされたのかな?

大人たちが「この子どうしよう」など
ああだこうだ戦略を模索しているのを
傍で聴いていのかな?

そんな風に一般人の私は
ふと思い描きました

周囲の大人の話を
しっかり聞いて記憶している百恵ちゃん

不安な気持ちの中
言われた言葉を咀嚼して
虎視眈々と
未来をみていたのでしょうか

「うふふ」なんて笑いながら語る
21才の百恵ちゃんの姿は
本当に見事な変貌を遂げたアーティスト

デビュー前の百恵ちゃんの音域とその後

 音域が非常に狭かった 

当初の山口百恵の音域は、、、
片手いっぱい

1オクターブとちょいくらいですか?
(手の大きさにもよる)

偶然、今朝の「ZIP」(日本テレビ)で
福山雅治さんが言ってましたよ!

自分の声の音域「普通より狭いんだ」って

「1オクターブ半くらいだ」と
ギター弾きながら
ドレミファソラシドレミファ、、、

最後のファがきついなぁって
(地声でやってました)

私は気づきませんでした
「福山くん音域せまいな~」なんて全く
それもテクニックの1つでしょうか?

百恵ちゃんは
その後、音域広がったんですよ

自伝「蒼い時」に書かれています

デビュー寸前、一オクターブしか出なかった音域が、七年半経った今は、
地声で二オクターブ、ファルセットを入れれば三オクターブと広がっている

(「蒼い時」山口百恵著、集英社文庫、132pより)

こうした技術面での話を知ってしまうと
またまた(引退惜しいな、、、)などど
禁句が口をついてでてしまいそうです

憧れの西城秀樹さんに○○○をいただいた!

「美・サイレント」風の見出しになりました↑

今度は百恵ちゃんが「としごろ」という映画に出演した時の話になるんです

そしてこのようにレッスンしている一方ですね、初めて映画に出演したんです。

と言っても、その役は主演では決してなくって、「としごろ」という森昌子さんと和田アキ子さんの主演の映画に、ちょこっと、なんていうんだろうな、新人の顔見せみたいな感じで、出たんですけども。

バレー部員の役で、あまり、、、セリフというセリフがなかったんですよね。「ファイト」とか「そっち行ったわよ!」とか「はやくー」とかそういう感じばっかりで、かなりしょっちゅう叫んでいたという感じがあるんですが。

その時に、あの実を言いますとあたしはデビュー前、非常に西城秀樹さんのファンだったんですけれども、その映画に西城秀樹さんがゲストで出演したんですね。

で、その時初めて西城秀樹さんっていう方をまじかに見たわけです。
非常に憧れてた方にお目にかかれてうれしかったのを覚えてます。

しっかりサインをいただいて、「百恵さんへ」と書いていただいて(笑)、まだ持っていますけれども。ええ昭和48年の3月7日の日付だったんじゃないかなと思いますけれども。

ええ、、、えへへ(笑)そういう話をしてるとなんかこう顔が上気してくるのがすごくわかるんですけどねー。
西城さんも、この間チャンスがあってお話しをしてましたら、その時のことをよく覚えていてくださいましてね。

うれしいもんですね、実に。はい。

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.13放送より)

 秀樹さんにもらったサイン、まだ持っています 

普通の女の子だ!

日付が「昭和48年3月7日」って
まだ持っている証拠ですね

これを語っている百恵さんも
恥ずかしそう

今聴きなおしてて
良かったね百恵ちゃん
と声かけてしまいそう

ラジオの放送を聞いていた高1の私は
そんなに覚えてないんですが

「としごろ」レコーディング秘話、えっそんなだったの?

秀樹さんに出会えた話からの続きです

で、話しは戻りますが、
デビュー曲をもらったのは、ちょうどのそ映画の撮影が終わりに近づいたころだったでしょうか。

あの、、、とにかくこのレコーディングの時、都倉先生に「大きな口をあいて、恥ずかしがらないで、一つ一つの言葉を”はっきり”言って歌いなさい」って言われたんですけれども。

まあ先生も先ほどおっしゃってましたけど、ほんっとに先生のおっしゃる通りには歌え、、、なかったんですね。あの理解できないというか。

であの、その時レコーディングしたのがソニーの大きなスタジオで、ガラス越しにミキサー室にいるみなさんの顔が、わっ!と見えるわけですよね。

それが恥ずかしくて。
とっても高い衝立をたくさん立ててて(笑)、、、舌がもつれましたが(笑)。立てていただいて、とにかく向こうから顔が見えないような状態にしていただいて、それでやっと歌えたのを覚えてるんです。

今でこそ普通にね、ちゃんと歌えるようになりましたけれども、やはり当時はね、照れ屋というか純情だったんですね。えへへへ(笑)。

まああの、なにがなんだかよくわからないけれども、とにかく、いやとりあえずデビューできたんです。

ええそれが昭和48年の5月21日。作詞が千家和也さん、作曲が都倉俊一さん。で、曲は、、、キャッチフレーズがいいんですよね。
「人にめざめる14才。としごろ」という曲でした。

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.13放送より)

すぐ曲が流れます
♪「としごろ」山口百恵

感動~

 ミキサー室の顔顔顔、、、で歌うのが恥ずかしい 

いたって普通の女の子の感覚!
時代も関係あるのかな
今の天才歌うまキッズとなんか全然違いますね

ミキサー室のみなさんって
怖い怖~い顔でにらんでたんじゃないでしょうか

想像ですが、、、
「この子に賭けてるんだぞ」
「この子売り出すと決めたから」
「売れてもらわなきゃ」
そういったご事情やら、、、
「この子で大丈夫か?」
未知数ゆえの一抹の不安やら
があって

一方で
しっかりものとはいえ
恥ずかしがりで純粋な少女
そして秘めた強さ
「山口百恵」という重力のような
不動のキャラ

大勢の大人VS百恵1人の
綱引きが静かに繰り広げられている
そんな名シーンが浮かんでしまい

ゾッとします

 とっても高い衝立を立てて 

ここまでいくと本格的です
「最高の歌を歌わせるぞ」と
おっさんら(すいません)

で「夢のあとさき」で
回想しながら語る山口百恵

「衝立をたててて、、、」と舌がもつれて
自分でツッコミ

ステキです
普通に笑っちゃいます

後世に語り継がれている
「伝説の歌姫」
その硬直したイメージよりも
数倍いい

と私は思いました

まとめ

  1. デビュー前の(周囲の)苦労、、、笑い話に時が変えたよ
  2. 音域どのくらい出ますか?
  3. 音域の変化、男女差や個人差はある?~百恵ちゃんと福山雅治さんの事例
  4. 映画「としごろ」撮影で憧れの西城秀樹さんをまじかに見た思い出
  5. 「サインをもらった!そしてずっと持っている」~百恵ちゃんの乙女心
  6. レコーディングで人の目が恥ずかしかった少女・山口百恵
  7. ラジオのトークで「かむ」百恵!これが一番うれしかったりするリスナー

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