山口百恵「夢のあとさき」1980.06.29② ソニーの酒井さん語る「聴く側を裏切るための戦争」とは

◆「彼女は18才の頃には28才の感覚だった」

ラジオ「夢のあとさき」は、1980年4月6日から1980年10月5日までニッポン放送他から放送されました。番組開始時すでに、山口百恵さんが三浦友和さんと結婚すること、百恵ちゃんは芸能界を引退することが公表されていました。10/5最終回は「武道館ファイナルコンサート」が行われた日。)

6/29①では、山口百恵自身をテーマにしたアルバム『百恵白書』を制作するに至るまでの経緯をご紹介しました。今回はその続きです。

(百恵ちゃんのトーク)

で、レコーディングディレクター、そしてまたプロデューサーであります、みなさんもお馴染みだと思いますけれどもね。CBSソニーの酒井さん。こうおっしゃってるんです。聞いてみてください。

(酒井政利さんのトーク音声流れる)

CBSソニーの酒井です。えっと彼女との出会いっていうのはね、1枚の写真だったわけなんです。

で、14才でデビューして、それからまあ18才になって20才になってと、いわゆる自然な流れでね、年齢は老いていくわけですけども。

彼女はね、どっちかっていうと18才の頃には28才の感覚だったと思うんですよ。で、今21才で、、、と、もうどっちかってね31才ぐらいの感覚でいるんじゃないかなと、こっちは思うわけですね。

そこいらへんおのずからね、闘争が起きるわけですよ。いわゆる「彼女らしく」っていうことは、相当、なんていうか、年齢的に加速度がついてるわけですね。

この辺がね、ちょっというと、モノをつくるっていう戦場になるわけですね。彼女は「こういうものか」と容易に理解できて、容易に歌えるっていう作品はひとつのなんていうかな、聴いている側に裏切りがないと思うんですよね。

で、いつもテーマとして考えてたのは、その裏切ることなんですね。なにを裏切るかっていうと「聴く側」をですよ。山口百恵の作品は、次にはこういうものがくるんじゃないかってみんなが想像すると思うんですよ。

そういう思惑の中へハマるものはだめなんだと思うんですよね。それを超えたところになんか新しいものがある。じゃないかなっていう計算がいつも、、、あるわけですね。

ですからまあ、山口百恵側、作家側、それから我々スタッフ側、これがいつも戦争なんですよね。といかくいつも作品を作るときにですね、一番考えてたことっていうのは、彼女がまあ、、、10代のときは、20代にはこういう歌を彼女は歌っていけばいいんじゃないかと、いう風に、

やっぱり10年先、いつも10年先みたいなことを考えてたってことは、これが一番本音ですね。

(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.06.29 放送より)

・聴く側 

世間の多くの人が「大人っぽい。落ち着いてる」と評した百恵ちゃん。そしてその大人っぽい魅力を、次はどんな作品でどんな風に表現してくれるのかと期待していました(ファンがというより大衆の関心だったと思う)。

もちろんそれは「外から見た山口百恵」。百恵ちゃん本人は違和感を感じることもあったでしょう。

・スタッフ側 

作り手側の酒井氏は「18才なら28才の感覚だったと思う」と言う。

例えば 18才の時のアルバム『百恵白書』の前後に出したシングルは「夢先案内人」「イミテイション・ゴールド」

酒井氏の言葉通りなら、この2曲は28才くらいのイメージで、「百恵ちゃんが、容易に理解できたり容易に歌える歌ではない作り」になっているはず。さらに「聴き手の思惑を裏切り、それを超えた新しいもの」。そうですね、確かにうなずける作品です。

◆「ユニークなアルバムが作れたと自負している」山口百恵の仕事っぷり!

酒井さんの言葉を受けて百恵ちゃんです。

(百恵ちゃんのトーク)

はい。どうもありがとうございました。

ええ。そうですね、やはりあたしが今までこう、いろいろなアルバムをね、作ってきて、レコード、シングルを作ってきて、その中でいろいろな歌を歌ってきて、今思うことっていうのは、

やはり、今酒井さんの言葉の中には「戦争」って言ってましたけども、ホントに実にその通りでね。

やっぱり、作家の方たち、まあ阿木さんであったり、宇崎さんであったり、こういうものって持ってきたものを、やはりそれを宇崎さんのもの、阿木さんのもの、そのままに終わらせてしまったら、あの、、、歌い手としてのあたしは負けだし、

そしてまた、歌ってそれを納得させなければ、制作スタッフに対してあたしは負けだしというね。(笑)

そうですね、、、スタジオっていうのはとっても厚いガラスの窓があって、その向こうがミキサー室、そしてこちら側が歌を歌っている人間たちのいるスタジオっていうね、分かれ方をしてるんですけれども。

本当にその(笑)、、、たった1枚の分厚いガラス窓をはさんだ2つの部屋での、こう、葛藤っていうのかな、そんなものがあったこと。

そして、それを1人1人が感じて、和やかな雰囲気ではあったんですけれども、その中にもとっても緊張感がある雰囲気っていうのをね、みんなでこう、、、意識するでもなく、創りだしてこれたことっていうのが、やはり一番良かったんじゃないかなっていう気がするんですよね。

まあとにかくこの『百恵白書』以来、最近作の『メビウス・ゲーム』まで、いろいろな意味で、もちろん自分での好き嫌い、納得いってるもの、いかないものってありますけれども、

まあユニークなトータルアルバムを作れ、たな!っていう感じで、自負しているんですけどね。

それでは、この『百恵白書』から聴いていただきたいと思います。昭和52年の5月21日に発売になりました『百恵白書』より「I CAME FROM 横須賀」。

♪曲~「I CAME FROM 横須賀」(歌:山口百恵、作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄)(2コーラスまでかかる)

(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.06.29 放送より)

・そのまま終わらせたら歌い手としてのあたしは負け 

作家との戦争。

・歌って納得させなければ、負け 

制作スタッフとの戦争。

・感想~「作品そのままで終わらせない。そうじゃないと【あたしの負け】」

「あたしの負け」って最初は私「強気なこと言ってるな~」と少し引いてしまったんですけど、素の自分とは乖離した「大人のイメージ」、「難易度の高さ」をどんどん要求されるのなら、セルフプロデュースしていくしかない。そういう勘のよさ、取り組み方の的確さという部分にまず驚きました。

制作スタッフの戦略、要望をまとめると「大衆の期待を裏切る作品を出したい。そのためには簡単に歌える歌じゃダメなんだ。ハードルは上げていくよ。百恵ならできる」だったのかな(笑)と推測します。

この戦争では、「歌い手・山口百恵」だけが手の内を明かしておらず、見せ方やさじ加減は自分自身で調整できる立場にあるんじゃないでしょうか(これをアーティストというのでしょうけど)。スタッフ会議の及ばない、非常に内的な創造作業のことです。

例えば「山口百恵の大人っぽさ」に関して、「ああ、この大人っぽさなら自分にあるな」という部分はナチュラルに表現できるし、「ここは届かない部分だから想像で芝居してみよう」というのもあったり。どれがどっちなのかは?未知。百恵内部はブラックボックスです(近しいスタッフでもシースルーではないだろう)。

「山口百恵」をどう創りあげ、どう歌おうか。最後は内部で「山口百恵」に要求をだしている(直感的にスピーディにだったかもしれない)。「あたしの負けだし」という言葉から、まさに内側の「プロデューサー・山口百恵」の存在が見えた。いや、百恵ちゃんという人が幾重にも複雑なものになって見えたと言おうか。

「戦争、勝ち、負け」という強い言葉。しかし、これほどカッコいい「仕事」の仕方はないと思います。「歌手・山口百恵」について、その作品やいろんな発言に接していくと、この人が「仕事」という言葉に一つの定義を与えた、と言っても過言ではない気がしてきます(この発見はとても大きい)。

そしてその「仕事」とは、いつの間にか「引退」という仕事の終わらせ方までも含んでいたと「あとから」わかってくる。生き方と仕事は切り離せないものですね。

◆おまけ「酒井政利のJポップの歩み」という講演会にて

古い話ですが、酒井政利さんの講演会にお話を聴きにいったことがあります。

酒井政利氏のオフィシャルサイトの「略年譜・関連アーティスト」のところに出ていました。たぶん2004年。


2004年
古賀政男音楽博物館ミュージアム講座「酒井政利のJポップの歩み」~アーティストクローズアップ編~第2回・第3回講演


「山口百恵」を取り上げた回は第2回か第3回。百恵ちゃんのヒット曲を数曲取り上げ会場で流し、それにまつわる話をしてくださいました。

この講演会でもらったチラシに覚え書きをメモしていたのですが、家のどこかに行方不明。出てきたらまた思い出してみたいと思います。

講演が終わって、酒井さんちょっと質問を受けてくださったんですよね。

質問「百恵ちゃんに歌わせてみたかった(曲を発注してみたかった)人っていましたか?」
酒井氏「井上陽水は最後のアルバムで1曲作ってもらった。あとは中島みゆきなんかもやってみたかった」

確かこんな感じのことをおっしゃっていました。残念ながらみゆきさまは実現できず。

◆まとめ

  1. 「イミテイション・ゴールド」は28才の女性?CBSソニー酒井政利氏「百恵は年齢+10才」
  2. 酒井さんは、山口百恵が容易に歌えない作品、聴く側を裏切る歌を作りたかった
  3. 「ホントにレコード作りは戦争だった」と百恵ちゃん
  4. 「もらった曲をそのままで終わらせたら負け、納得させなければ負け」臨戦態勢で最高のものを作りだすことを目指したアーティスト百恵
  5. レコーディングは和やかだが緊張感ある雰囲気をみんなで作りだせた
  6. 『百恵白書』~『メビウス・ゲーム』までユニークなトータルアルバムが作れたと自負している
  7. (筆者の感想)百恵内部に隠された「プロデューサー百恵」を見た気がしてうれしい
  8. (筆者の感想)要求以上のものを出すというスタンス!なんてカッコいい仕事っぷり
  9. (筆者の感想)山口百恵は「仕事」という言葉に一つの定義を与えたと思う
  10. 2004年、酒井政利氏「中島みゆきさんにも山口百恵作品を依頼してみたかった」と

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