山口百恵「夢のあとさき」1980/06/15②~ 宇崎竜童が語る「横須賀と百恵ちゃん」

「横須賀ストーリー」発売!百恵17歳春の出会いでした

◆宇崎竜童の好みにピシャッと合った「百恵の何か」とは?

(ラジオ「夢のあとさき」は1980年4月6日から1980年10月5日までニッポン放送他から放送されました。番組開始時すでに、山口百恵さんが三浦友和さんと結婚すること、百恵ちゃんは芸能界を引退することは公表されていました。10/5最終回は「武道館ファイナルコンサート」が行われた日。)

「1980/06/15①」の続き、宇崎さんが音声で登場です

(ラジオの百恵ちゃんトーク)

で、このとき宇崎さんはどんな感じでね、この歌を作ってくだすったのかうかがってみたので、その声を聞いてみてください。

(宇崎さんのトーク音声流れる)

ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギバンドの宇崎竜童です。

ええと、百恵さんのね、まあ要するに昔、この「横須賀ストーリー」書くまではね、非常に「ファン」、ある意味での惹かれた人間だと思うのね。で、それまで歌っている、「湖の決心」だとかなんとか、まあいろんな歌を歌っていて、別にそれは僕は彼女に合わないという風には思わなかったし、でも他の歌手の人たちが歌っているようなものとはちょっと違う匂いが彼女に匂ってきて、なんだろうってわかんなくてね。

であるときほら月刊誌みたいなのをね、彼女が出ているのを見て、そんとき初めて横須賀で育ったみたいな、書いてあんのを見てね、あっ、この子横須賀で育ったの、それでなんか自分と何がね、自分が別に横須賀で育ったわけでもないのにさ、すごいこう、、、ウエーブみたいなのを感じて、ああ、そこがやっぱりオレの好みにピシャッと合ったとこなんだろうなっていう感じでして。
だから「横須賀ストーリー」作るときはね、なんで横須賀で育ってるのに、その実際横須賀で育ってる、横須賀にしかない風景とかね、横須賀にある子供たちとか若い子たちのなにかこの、ひとつのなんていうかね波っていうか、それをね、どうして歌わないんだろうって思ったのね。

だから、もし僕が、僕が依頼を受けたときにはね、絶対横須賀をテーマにしてなにかしてやろう。それで音の面で言えばね、なんていうかすごく「太陽の下の18才」とか、あの辺のものすごい、そのツイストなんかが流行った頃のね、ああいうニュアンスっていうのが、彼女の全体に溢れるなにかから感じたんだよね。

で、すごいなと思ったのは、うーんと、要求するでしょ、こっちが「ここいう風にしてほしい」とかって、そうするとね、いわゆるテクニックでカバーしてくるんじゃなくって、感性でカバーしてるってことなのね。

だからコンピューターみたいだなあと思ったことがあるのね。それは、例えばまずい部分を指摘すると、まずい部分がちゃんと改善されて、あの、良かったところはそのまま良さをまんま残せるというね。そういう意味では「歌う機械」みたいな、よくない例えだけども「歌うコンピューター」みたいなとこがあってね。それでコンピューターの割には感性が鋭かったりした。
でも聞いたときには、ものすごく僕が作ったときの子供が成長したっていう感じでね、とってもうれしかったですね。

(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.06.15 放送より)

・宇崎さん「ああこの子横須賀で育ったの!」

これですね。
横須賀にしかない風景。横須賀の若い子たち。宇崎さんが百恵ちゃんの中に感じ取って引き出したという。宇崎さんのしゃべり方、もう感覚の鋭さがエンジンふかしてるような勢いがあります。これぞミュージシャン。

・「イタリア産ヴァカンス映画」のニュアンスと百恵 

『太陽の下の18歳』とは1963年公開のイタリア映画で、エンニオ・モリコーネによる同名主題歌(原題「TWIST №9」)が日本でもカバーされました。陽気にツイストが踊れる歌です。山口百恵ファーストアルバム『としごろ』では「VACATION」など60年代洋楽をカヴァーしてますが、横須賀と海とツイストとの融合で発想が沸くというのは宇崎さんならでは。

【参考】
「川瀬本」にこんな記述がありました。「横須賀ストーリー」アレンジのイメージは、『太陽の下の18才』B面挿入歌の方だったようです。いずれにしてもツイスト。

宇崎氏からは、「横須賀ストーリー」のアレンジのイメージとして、ジャンニ・モランディの歌う「サンライト・ツイスト(Go Kart Twist)」のリズムを参考にしてほしい、という要望があった。日本で大ヒットしたこの曲は、カトリーヌ・スパーク(当時17才)主演の映画『太陽の下の18才』(1962年)の主題歌のB面であり、映画の中でも使われた曲でもある。

(『プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡 』(川瀬泰雄 著)P135より引用)

・「歌うコンピューター」

まずいところは改善して、良かったところは残せる。
普段我々はこういうときどうなんでしょう?改善に意識が行ってしまい、別の方がおろそかになる、、、そんなものかもしれません。部分修正ができるというのは、それ以外の基盤がしっかりしてて、動揺しないでいられる状態じゃないと難しい。動揺しない強さ。もしくは動揺など意識にない、完全なる「録音、臨戦、体勢」の技術と感性。意外と無意識なのかも?

◆今も海が見えるでしょうか?~目をつぶると横須賀の風景が見えた

宇崎さんの話を受けての百恵ちゃん。

(ラジオの百恵ちゃんトーク)

ありがとうございます。

なんですか、こう、ねぇ、すごい(笑)「歌うコンピューター」なんて言われてしまって、ちょっと照れ臭いんですけど。でも、この歌によって初めてあの、例えばね「歌は理屈で歌うものじゃないんだ」とか、それまでほんとに言葉とか頭の中だけではわかってたんですけれども、ほんとに身をもってわからされた曲と言ってもいいんじゃないかなっていう気がするんです。

で、あの、例えば、目をつぶって「急な坂道かけのぼったら、今も海が見えるでしょうか」っていうフレーズを歌うと、ほんとにあたしが育った町の坂道。で、そこの坂道を幼い頃のあたしが駆けあがっていって、はあはあ息を切らしながら、ふと正面を見ると山と山の合間から水平線がふっと見えて、白い船がすっと横切っていく。そんな風景が見えた歌なんですね。

ですからこれはもうほんとにあたしにとって、そうだな今ももちろん大事だし、今後ね、生きていくなかでも、常にこの歌っていうのは心の片隅にね、必ず流れていてほしいラインだっていう気がするんですね。

で、これ以降今日まで、宇崎竜童さんそして阿木燿子さんっていうご夫妻とのおつきあいがずっと続いてますけれども。あたしにとってほんとにこの出会いは、あの、忘れられない大事な、大切な、出会いになったと思います。

昭和51年。今から4年前の春の出会いでした。17才でした。聴いてください。51年6月21日発売でした「横須賀ストーリー」。

♪曲~「横須賀ストーリー」(歌:山口百恵、作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童、編曲:萩田光雄)(フルコーラス流れる)

(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.06.15 放送より)

・心の片隅に必ず流れていてほしい歌 

今後生きていくなかで、と引退後もということをしっかり言っています。ふるさとの光景が浮かんでくる歌はたしかに大切です。心が落ち着くんですよね。17歳の出会いがこうして宝物を生んだということ。私たちファンも幸せに感じます。

このあと話題は阿木燿子さんのことになりますが、今回はここまで

◆まとめ

  1. 名曲誕生に一役買ったのは、百恵のふるさと「横須賀」だった
  2. 修正らくらく!最新技術に鋭い感性まで搭載「歌うコンピューターMOMOE・YAMAGUCHI」
  3. 急な坂道、山間から見える水平線、船。心にふるさとの風景を描こう
  4. 宇崎竜童、阿木燿子、そして山口百恵。出会いの重さを感じます

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