目次
◆百恵自作の詩、限定公開!旅先・山形県新庄の風景
百恵ちゃん、自作の散文詩を披露してくれました。
(ラジオの百恵ちゃんトーク)
最近っていうか、まあ以前からもそうだったんですけれども。あたし、時々詩を書くんです。LPに収められたものもありますけれども、それ以外にもたくさんあるんですよね。
特に最近は、旅に行くといろんな町での風景や思い出などを散文詩にしてスケッチすることにしてるんです。例えば、4月の初めに山形の新庄っていうところに行ったときに、まだ雪深いその町をふと見て書いた詩。ちょっと読んでみますけど、笑わずに聞いてください。
冬は終わりを知らぬまま
最上流る岸に眠る
渡り舟の白き影すら
ため息の白さに隠れ遠ざかる
なんちゃって(笑)これはないですけれどね、さすがに。あの、こうして書き留めておくと、いつまでもその風景が鮮明に浮き上がってくるんです。
最近は詩人になった気分でひとり悦に入っております。山口百恵です。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。さあ、今日も「夢のあとさき」でお楽しみください。
わたしの青春の断面を綴る「ザ・ストーリー」。今日はまたまた初体験シリーズ。「伊豆の踊子」
(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.5.18 放送より)
・「気分は詩人」の山口百恵
アルバムの中の曲にも
ペンネーム「横須賀恵」で
百恵ちゃん自身が詞を書いているように
やはり百恵ちゃん
『詩心』があり
『そらんじる言葉』を
大切にしているようです
◆初主演映画『伊豆の踊子』
まずは映画のセリフ
三浦友和扮する「旧制一高生、川島」と
山口百恵扮する「踊子、かおる」のやりとり
音声が流れます
(ラジオで映画のサントラ 流れる)
~映画「伊豆の踊子」のとあるシーン~
(友和)「大島にいるときには何をしてるんですか?」
(百恵)「おふみちゃんでしょ、おしげちゃんでしょ。やっちゃんでしょ。みんなとおしゃべりしたり、魚干すの手伝ったり、お正月が一番楽しいわねぇ。みんな帰ってくるから」(友和)「お芝居もできるしね」
(百恵)「ええ」
(友和)「やっぱり一番いいのは友だちかな?」
(百恵)「おきみちゃんとはよく遊んだわ。浜辺で」(友和)「僕の友だちにね、変な奴がいるんだ。勉強でね、覚えなけりゃいけないことがあるとね、それを全部紙に書いて1つ1つ丸めて食っちまうんだ。そして怒鳴るんだよ。俺は覚えたぞってね」
(百恵)「あはは、、、やぎみたい」
(友和)「そう、やぎみたいにね」(二人とも笑う)(百恵)「学校はお休みなんですか」
(友和)「いいえ。でも、、」
(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.5.18 放送より)
・15歳の幼さ残る声!
かわいらしい
女優・山口百恵の初作品に
ふさわしい文芸ものでした
・変な勉強法
「紙を食っちゃう」話
テレビドラマ「赤い疑惑」でも
友和のセリフに
こんなのありませんでしたっけ?
(未確認ですが)
◆ハードスケジュールの中撮影した、百恵の一番好きな作品
『伊豆の踊子』撮影は超多忙な時期だったようです。
(ラジオの百恵ちゃんトーク)
思わずスタジオの外のディレクターから「いい声してるね、彼ね」という声がしましたが(笑)。ええ、、、あたしと三浦友和さんの初共演の映画「伊豆の踊子」のワンシーンのセリフなんですけど、覚えてらっしゃる方もいらっしゃるんじゃないかなって思います。
昭和49年の12月28日に封切られた、言ってみれば「お正月映画」だったんです。
まあ初めての主役。この映画、「伊豆の踊子」をやるよって言われた時、まあねーあたしはかつらをかぶったこともなければ、着物を着て走ったり、ましてやお芝居したり、踊ったりなんてことはしたことないわけで、非常に不安の種は多かったんですけれども、
原作を読んで、、、やっぱり初恋を描いた作品だし、なんとなくわかるような気がして。とっても自分に近いなって感じた部分があったんです。
それと、やはり西河克己さんという、もう本当にたくさんの作品を作ってこられた監督さんの指導のもとにね、本当にのびのびと出来た作品だったっていう気がします。
やはり、あの、そうですねたくさん映画やってますけれども、一番思い出に残っているというか、一番自分で好きな作品なんですけれどもね。
ま、この映画を撮ったのが49年の秋。この頃はわたしの仕事の忙しさがもうピークって言ってもよかったんじゃないのかなー。テレビドラマ、これは「赤シリーズ」、「赤い迷路」っていうのをやってましてね。それから歌番組。
で、暮でしたんで、ちょうど音楽祭などのシーズンだしね。それから学校。そしてこの「伊豆の踊子」の映画。それからもちろん地方のステージもあったわけで。ものすごいハードスケジュールの中でまあよくもがんばれたなという感じがします。
今、まあその状態の中にポーンと立っていると、そんなに「大変ね~」って言われても「そうかしら」っていう感じがすごくしたんですけれども、今振り返ってみると、よくがんばれたなっ、若かったんだな(笑)って思いますね。ホントに。つらい、、、(咳払い)。
実際の撮影の中で、まあ、この映画にまつわるいろんなエピソードもあるんですけれども、岩風呂のシーンなんでいうのがありましたね。これがあの、、、裸になるとかならないとかっていう部分でかなりっ喧々諤々(けんけんがくがく)すごい問題になった部分なんですが。
まああたしとしてみれば、映画っていうのはきっとそれだけではないはずであって。その、、、裸になるとかならないとかっていう部分が問題にされてしまうっていうことがすごく悔しくてね。
で、「ならないほうがいいー!」って言われてて、実際、うん、あの色々ごまかしたんですよね。そしたら、「なんたることだ!」みたいな感じで。なんと人はいい加減なもんだという感じがひどくしましてね。
(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.5.18 放送より)
・初の主演「不安の種は多かったんです」
「かつら、着物、芝居、踊り」
全て初!
・原作「伊豆の踊子」自分に近いなって感じた
「伊豆の踊子」作者は川端康成
「役」を演じるにあたって
「わかる」ということはキーです
百恵ちゃんはちゃんと
共感できる!
ここから演じてみよう
という取り組み方をしている
・1974年(昭和49)の忙さピーク!
テレビドラマ「赤い迷路」
歌番組
音楽祭のシーズン
学校(中学3年)
「伊豆の踊子」撮影
地方のステージ
忙しさのさなかの百恵は
「大変ねぇ」と言われ
⇒「そーかしら?」だったと
振り返って初めて
「よくがんばれたな」
本当にお疲れさまです
・「岩風呂のシーン」
裸になる?
⇒<ならない方がいい>
結局上手くごまかした
⇒<なんたることだ>
人っていい加減だなと
15歳の娘も思いますよ
◆『伊豆の踊子』撮影からある後遺症になった
(ラジオの百恵ちゃんトーク)
でもまあホントにね、いまだに思いますけれども、どうしても映画の宣伝っていうと裸になるとかならないとか。それからラブシーンがどれだけ濃厚であるとかないとか。
でも作品の中においては、あんまりね、そんなことをこう、、、宣伝対象にしてほしくないっていうのがやってる側の意見であって。もっともっと違う部分で、こう、宣伝するならしてほしいし、見る側も違う部分で興味を持ってほしいって、そういう気がするんですよね。
で、あの、三浦さんとの呼吸なんていうのも、この時はまあ全く知らないわけではなくて、コマーシャルで前に何度か会っていた状態だったんで、意外とすんなり役に入れたなっていう気がして。
あの、書生さんの姿っていうのかな、衣装。うん。すごく似合うなぁ~っていう感じがして、であの、、、そういう方たちにわっと囲まれると、意外とその時代のその人物になりきれてしまうんだなっていう不思議さをその時に感じました。とても楽しい作品でしたね。
ところでこの「伊豆の踊子」のときに、実はね、いまだにそうなんですが、後遺症があるんですよ。カメラ恐怖症になっちゃったんですよね(笑)。
まあ、西伊豆へずっとロケーションで何日か行っていたんですけれども、その間、とりあえずわたくしもピークでしたんで、その時期が。ええ。ブームといいますか。
であの、取材の方たちがうわ~っとやって来ましてね。もう何十台っていうカメラが一斉に、例えばおにぎりを食べている時にわっと群がって、で、口元におむすびを持って行ったりすると「カシャカシャカシャカシャカシャカシャ」、、、なんというカメラの音!っていう感じがして。
それまではそんなに意識にもね、留めていなかったカメラのシャッターの音っていうのがね、神経にさわるようになりましてね。いまだに、かなり遠くの方からでも「カシャ」なんて撮られたりすると「ビクッ」としたりしてね。なんとなく、、、いや~~~な気持ちがする時が非常にあるんですけれども。
まあ本当にいろんなことを体験した「伊豆の踊子」でした。テーマの曲を聴いてください。
~映画サントラ~
(友和)「あの、ひとつお願いがあるんです。あなたの挿してるその櫛もらえませんか。ゆうべ言おうと思ったんですが、言い出せなくて」(友和)「ありがとう」
♪曲~「伊豆の踊子」
(歌:山口百恵、作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:高田弘)
(【ラジオ番組】ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.5.18 放送より)
・「カメラ恐怖症になっちゃった」
おにぎりを口に持っていくと
「カシャカシャカシャカシャ」
それ以来
「神経にさわる」
「ビクッとしたり」
「いや~~な気持ち」
、、、それはそうでしょう
そしてよく耐えたなと
お気の毒です
それにしても百恵ちゃんも
おにぎり食べるんですね!♪
なんて言うと
「普通の人間ですから」って
怒られますね
・西伊豆でロケーション
Wikipedia「伊豆の踊子」の記述を見ると
、、、無理やり百恵のスケジュールをひねり出し、百恵の撮影に与えられた日数はやっと一週間だった。
全撮影日数も20日間で、1963年の『伊豆の踊子』に比べて半分の予算と撮影日数だった。
その為、ロケは伊豆には行かず、山歩きの好きな西河がよく知っていた奥多摩で全て撮影した
Wikipedia「伊豆の踊子 (1974年の映画)」より
「ロケは伊豆には行かず」
「奥多摩で全て撮影した」とある
大変興ざめな情報ですが
映画の世界に入り込んでしまうと
違和感はない
(カットで伊豆使ったとか?)
ラジオの百恵ちゃんは
「西伊豆へずっとロケーションで
何日か行っていた」と言っているが
勘違いかな?
奥多摩の撮影現場に
行ってみたいものですね
・主題歌「伊豆の踊子」
初めてオリコンで1位になった
シングル「冬の色」
そのB面が「伊豆の踊子」
私はB面めあてで
シングルレコード買いました
好きな歌です
◆まとめ
- 激レア!「百恵作、旅先の4行詩」ラジオ限定公開
- 幼さ残る15歳の踊子が女優・山口百恵の原点
- 三浦友和22歳「伊豆の踊子」が映画デビュー作。いい声してるね、彼。
- 初恋を描いた「伊豆の踊子」原作を読んでわかる気がする百恵ちゃん
- ものすごいハードスケジュールでの撮影!よく頑張れた、若かった
- 岩風呂のシーン!裸?
- 人間のいい加減さを垣間見た山口百恵15歳
- コマーシャルで会っていた「三浦さん」とはすんなり役に入れた
- カメラ恐怖症に!「カシャ」で「ビクッ」
- 初主演映画にいい主題歌。ここから始まる山口百恵街道
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⇒ 山口百恵「夢のあとさき」1980/04/13②「としごろ」