目次
ラジオ「夢のあとさき」第4回~ドラマ初体験
◆まずは、ちょっと笑える百恵ちゃんの近況
始まりのあいさつが毎回楽しいんです
近況って、
あたりまえのように聞いてしまいがちですが
「この時代を、今日を、一緒に生きている」と
実は実感できていたんですよね
百恵ちゃんのトークです↓
♪カラスなぜ鳴くの カラスの勝手でしょ~
あはは(笑)
最近はあの、歌をいろいろと変えて楽しむことが流行ってますねーあたしもこの手の遊びが(笑)意外と好きでして、仲間たちと最新作を作ろうと四苦八苦してるんですよね
例えば
♪カラスなぜ鳴くの 熱でもあるんでしょ~とか
♪カラスなぜ鳴くの 鏡を見たんでしょ~いろいろ(笑)考えることは考えるんですけど、やっぱりあの「カラスの勝手でしょ」をしのぐ作品っていうのが、なかなかできないんですよね~
相変わらずバカなことをやって大騒ぎしている(笑)山口百恵です。
みなさんは、いかがお過ごしでしょうか。ええさて「夢のあとさき」あたしの青春のすべてを綴る「ザ・ストーリー」
今日はドラマ初体験、その時のお話しをしたいと思います題して「ファースト・シーン」
(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.27放送より)
・カラスなぜ鳴くの
「カラスの勝手でしょ」
流行った流行った!
百恵ちゃんが考えたという
「鏡を見たんでしょ」も面白い!
ずいぶん時代は過ぎ去りましたが
このお題、子供に出してみようかな
◆初連ドラ「顔で笑って」~その前に学芸会はどうだったか?
続いて曲が流れ、百恵ちゃんのおはなしです ↓
♪曲「パパは恋人」(歌:山口百恵・宇津井健)
かわいいですね~
信じられませんね~
なんとか少年少女合唱団という感じの山口百恵ちゃん!
なんか自分で言うと本当にヘンなんですけど、実になんかあの、あたしじゃなくて妹とかそんな感じがします
実はこの歌、「禁じられた遊び」のB面の「パパは恋人」という歌なんですけれども、あたしの初めてのテレビドラマ「顔で笑って」というドラマの主題歌なんですけれども、これ男性の声が「宇津井健さん」なんですよね~ええ
であの、、、大体テーマになっていたのが、その父と娘のなんていうんだろうなとってもあったかい関係というか、そんなもので。実になんかこう緊張のしっぱなしの連続だったんですけれども。
でその「顔で笑って」っていうドラマがスタートしたのが昭和48年の10月。秋の新番組だったんです。
で、まず簡単にこのドラマの出演者をご紹介しますと、
宇津井健さん、それから宇津井さんとドラマの中であの結婚するんですね。であたしにとっては二人目のお母さんになるんですけれども、倍賞美津子さん。
それから、病院がテーマになった話でしてね、倍賞さんのお姉さんだったかな、ええ富士真奈美さん。それから妹役に川口晶(あきら)さん。
他にもあの、意外な方と共演したんですけども、その方はのちほどご紹介するといたしまして。
あたしの役柄っていうのは中学生の役だったんですけれども。幼い頃に母が亡くなったっていう役で、まあ父と娘、二人でずーっと暮らしてきた。
で、、突然そこに父の再婚問題っていうのが出てきましてね。非常に、その間で、なんかこうお父さんを取られるようなさびしさとか、そういうものを感じながら、とりあえず学校生活もエンジョイしている普通の中学生の役だったんですが。
その時に中学校の中で、バレー部に入っているという役柄でね、で、、、かなりバレーボールの腕はその時磨いたんです、はい。回転レシーブなんていうのも、はい「サインはV」みたいですけれども、そん時教えてもらったんですよね。
であの、最初にね、やはりドラマ出演っていうこと、まあ会社の方から言われたとき、、、それまであたしは、例えば学芸会でも、こう、ね、やったことがなかったんですね。
で、もちろん学芸会ではやるチャンスはあったんですけれども、やはり、あーゆーのっていうのは、ね、クラスの中で何人か出演するっていうことになってましてね。やはりそういう条件としてあの、、、いろいろあったわけですよ。
ええ、、、容姿とかね(ふふふ(笑))その点で落っことされていたのも事実なんですが、あんまり、、、得意じゃなかったんで。まあせいぜいやっても影の声、いわゆるナレーションみたいなかたちだったんですよねー。
ですから、自分が実際セリフを言って、だれかとお芝居で絡むなんていうことは、決して考えたこともなかったし。
そんな状態だから、このドラマに賭けるとか賭けないとかっていうところを感じているヒマがなかったっというか、怖さの方が先に立ってたっていう感じですね。
(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.27放送より)
・「パパは恋人」(1973年11月)
作詞: 千家和也、作曲: 都倉俊一、編曲:高田弘
ドラマ「顔で笑って」主題歌
(1973年10月5日~1974年3月29日放送)
この歌、親子の雰囲気がサイコー
宇津井健さんの存在感の出し方が絶妙で
聴く者を微笑ませるレコードでした
※ラジオで勘違い箇所があるようです
■「倍賞さんのお姉さん」
⇒正しくは
倍賞さんの「母の妹、つまり叔母」役が
富士真奈美さん
■「妹役に川口晶(あきら)さん」
⇒正しくは
「花田家のお手伝いさん」役が
川口晶さん
・「ドラマ出演」演技経験は?
言いにくそうに、
遠回しに話す百恵ちゃんです
学芸会でも
芝居はあまり得意じゃなく
ナレーション(影の声)だったと
もじもじしながら語っています
が、これがこの人の個性です
キラキラ輝く特性の1つですよ
・「容姿とかね」にたどり着くまで
このためらい
ふふふ、、、という笑い
かわいらしい、の一言では
うまく表現できませんが
百恵さんが自分の中で
自分を見ている自分
チラッと出ている
貴重なトークじゃないかと思います
・怖さが先に立っていた
「顔で笑って」を見直すと
百恵ちゃんがにっこり笑顔を作る場面が
よくあります
やはり伝わりやすいようになのか
「い~~」って口を作り
白い歯を見せて笑っているようです
この定番笑顔を何度か見るうち、、、
(もうこの笑いは飽きたかなぁ)と
ちょっと思ってしまう
※ファンだって全てほめめたたえるわけじゃない
多少の無理、がんばりは
あったのだろうなと思いました
山口百恵扮する「悦子」こそ
「顔で笑って」だった?
※心で泣いていたわけじゃないと思うが
◆監督瀬川昌治さん談、百恵ちゃんはどんな印象だった?
百恵ちゃんの話に続いて、「顔で笑って」の監督・瀬川昌治さんのコメントが音声で流れます ↓
とにかくそんな状態で、「なーんにもわからないっ!」ていう感じで、ドラマに飛び込んだわたし。ドラマの監督、瀬川昌治監督ですね。あの何度か「赤シリーズ」とかその「顔で笑って」でもお世話になってると思うんですけれども、このように語ってくださいました。
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(以下、瀬川昌治監督)
『あの、ぼくが山口百恵ちゃんの最初の仕事をやったのは「顔で笑って」っていう番組だったわけですね。まあその時は、うまいへたっていう基準には、どっちかっていうとまだ素人っぽいその、、、逆に言えばその素人だから非常に新鮮な部分もありましたしね。
それでぼくが非常に関心したのは、関心したというか普通の女の子とちょっとちがうなっていうふうに思ったのは、非常に静かなね、ええまあどっちかっていえばクールな、なんとなくちょっと冷めてるっていう、フィーリングがね、中学3年生っていう子どもっぽい年齢にしては、とっても面白いなっていう、感じがしたのを記憶してますけど。
でまあ宇津井健さんなんか、、、彼女はもう非常に恵まれてると思うんですね。本当に周りが非常にベテランが固めていて、要するにお膳立て作ったところで彼女が出てきて芝居をするっていうかたちで。
新人の、つまり売るのには非常に絶好の下地なわけですね。でもう今までも、昔の映画スターの売り出しっていうのはそういう風にやってたんで。
だから彼女は非常にやっぱり才能があったっていうのは、そういう人たちにもまれて、それに負けないような芝居のそのフィーリングっていうか、自分の感情をその演技に出してゆくという、そういうことを実に早く覚えたっていうことですね。
だからやっぱり、この子は才能あるんだなぁという風にあの時思ったように思いますね。
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(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.27放送より)
・『自分の感情を演技に出していくことを
実に早く覚えた』という監督の言葉
うなずけます
この後のドラマ「赤いシリーズ」を
観ていても
その変化についていけないくらい
気づけば「女優山口百恵」がいました
◆百恵ちゃん、難しくて困った演技は?話し相手は7つ年上のMさん?
引き続き、監督の言葉を聞き終えた百恵ちゃんです↓
というわけで。ありがとうございました。
あたし自身としては、そうですね、、、比較的「顔で笑って」っていうドラマは、その後(ご)の「赤いシリーズ」とはまたちがってね、まあ「赤いシリーズ」っていうのはどっちかっていうとシリアスっぽーい感じのドラマだったんですけれども、この「顔で笑って」っていうのは、いわゆるホームドラマに近いものだったんですよね。
ですからあの、監督から「もっと中学生らしく。もっと楽しそうに」とか「もっとはっと明るく笑って」とか「大きな声をだして」とかそういう感じでたくさんこう、、、言われた(笑)のを覚えてるんですけれども、全然できなかったのも覚えてまして。
なんていうのかな、あの、、お芝居っていうかたちで、まあ自分の中でその、セリフを言って楽しそうなセリフだったら、それについて表情も出てくるって思いがちなんですが、それが意外と難しかったんで、びっくりましたね。
例えば「ねー、お父さん!昨日ねあんなことがあってね、あの子がどうしたのよ!」っていう一つのセリフを言う時に、笑えなくて困ったんですよね。
あの無理に笑おうとするとなんかこう頬のあたりが引きつっちゃって、セリフもなんかしどろもどろという感じになってしまって、で、、、その時に「笑うお芝居」ってなんて難しいんだろうなって思ったんですよ。
非常に、、、(あっ笑うということは難しい。けれども非常に尊いものなんだな)という感じをその時に受けまして、でやっぱり周りが、瀬川監督もおっしゃってましたけれども、ベテランの方ばかりで、あたしと同年齢の方っていうのは出てなかったんですよね。
ですからそういった意味で非常に、楽屋にいてもなんかこう誰と何を話していいのかわからずに、ぽつ~んとしていることが多かったんですけれども。
そんな時にあたしの話し相手になってくれたのが、なんとあの、、、(笑)なんていうと失礼かな、水谷豊だったんですね。
であの、水谷さんはその時、ええ、、、お医者さまの役で、その病院に勤める先生の役でね、出てたんですけれども。そう話しをする内容なんていうのは、
「きみいくつだっけ?いや~ぼくとそうか7つかな、7つも違うんだね~」
なんていう話しから、まあ昔あたしが中学校かな小学校かな、とにかくかなり小さい頃だったと思うんですが、「バンパイア」なんていうねドラマやってまして、水谷さんがやってましてね、満月を見るとワッと狼になる(笑)ドラマなんですが、非常におもしろくて。
「あのドラマ見てたんですよ」なんて話しをして。本当に水谷さんのおかげでずいぶんと気が楽になったっていうね、思い出があるんです。感謝しております。
それでは、このドラマが放送されている時に発売された歌を聞いていただきたいと思います。
昭和48年11月21日発売です。「禁じられた遊び」
♪曲「禁じられた遊び」(歌:山口百恵、作詞:千家和也、作曲:都倉俊一、編曲:馬飼野康二)
(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.4.27放送より)
・「笑えなくて困った」百恵
こう言ってるわりには、、、
ちゃんと笑えてる!
演じる側はいろいご苦労あるんですね
・「笑うということは難しいが非常に尊い」と
「尊い」との言葉をここで用いた
百恵さんの気持ちに
思いを馳せてみる
・「僕と7つも違うんだね~」と水谷さん
水谷豊さん・・・1952年7月14日生まれ
三浦友和さん・・・1952年1月28日生まれ
お2人は同じ1952年生まれ
「顔で笑って」の時は
まだ百恵ちゃんと友和さんは
出会っていません
「顔で笑って」は1974年3月放送終了
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俳優三浦友和(43)との出会いは、
デビュー1年後の1974年(昭49)
6月から放映された
「グリコセシルチョコレート」の
CM撮影だった
ネット・日刊スポーツ紙面復刻【証言548】より
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この会話をしたのは
三浦友和氏と出会う数か月前
だから
(じゃあ水谷さんは三浦くんと同い年ね)
などとは当然思わなかった
ラジオで語る百恵ちゃんは
(私の旦那さんになる人と同じ
7つ年上なのよね)
との認識はあったかもしれない
・水谷豊さんに「感謝しております」
これまでの芸能活動を振り返り
丁寧に言葉を発し
1つ1つ礼を尽くしていく
そんなシーンが
ラジオでは何度かありました
◆まとめ
- 「カラスの勝手でしょ」を超えるもの考えつく?
- ドラマ主題歌「顔で笑って」はほのぼの幸せムード
- 「顔で笑って」でバレーボールの腕を磨いた百恵ちゃん
- 演技経験について「学芸会?うふふふ」と言いよどむ百恵ちゃん
- 若い頃の「不得意という認識」は間違いだったりすると覚えておこう
- 女優山口百恵について「彼女は非常に才能があった」と監督の結論
- 笑うことは難しいが、非常に尊いものなんだ
- 楽屋でぽつ~んとしてたら話し相手になってくれた水谷豊さん
- 水谷さんもご主人三浦友和さんも百恵ちゃんより7つ年上
- 「顔で笑って」放送の頃発売されたシングルは「禁じられた遊び」