山口百恵「秋桜」

「秋桜」誕生秘話~ラジオ「夢のあとさき」で語る

「夢のあとさき」という
ラジオ番組の音源がでてきました!

あるのはわかっていたのです。
大切にしすぎてきっちりしまっておいた。

いざ「また聴こうかな」と
思ったとき出せないんですよね。

今回やっと
押入れから取り出すことができました。

百恵ちゃんの
ラジオ番組「夢のあとさき」は、

1980年4月から
1980年10月まで放送されました。

「婚約発表そして引退宣言」の、
1ヶ月後の放送スタートだったんです。

つまり「夢のあとさき」は
「百恵引退」までの限定番組。

カウントダウンは始まってしまった!
もうあとはない!
名残を惜しみつつ心して聴こう!

と、きっとファンのだれもが
そんな心構えで、
毎週カセットデッキで
録音の準備をしながら、

ラジオにかじりついて
聴いたにちがいない。

いわば
『百恵パーソナリティ・最終章』
というべき番組です。

よく
「手ですくった砂が
指の間からこぼれていく」と表現しますが

「夢のあとさき」の放送の7か月間、
1回1回がまさにそんな感覚でした。

今日懐かしく聴きなおしてみたのは、
1980年7月20日の放送分。

「秋桜」についての話をする回でした。

「7月も半ばを過ぎ、そろそろ全国的に夏休み」(略)

「今日はあたしにとってこれまた忘れられない歌「秋桜」のお話をしたいと思います。題して<1977、オータム>」


(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.7.20放送より)

「秋桜」は1977年10月1日発売なので
「題して<1977、オータム>」なんですね。

「秋桜」19枚目のシングル
歌:山口百恵
作詞:さだまさし
作曲:さだまさし
編曲:萩田光雄

さだまさしの作品を歌いたい!と百恵ちゃん

「グレープ」は
1972年に結成し
1976年に解散します。

その後、ソロとなったさだまさしさんが
初めて出したアルバムが『帰去来』です。

百恵ちゃんは、
グレープ時代の「精霊流し」や
「朝刊」など、
さださんが作った歌を

あったかい感じがして好きでした
と言っていますが、

あたしに歌えるっていう世界では
決してないっていうイメージ

だったと。

この段階では「自分が歌いたい」
という気持ちは湧いていなかった。

ところが『帰去来』を聴いて、
「女として」さださんの歌を歌ったら
どうなるだろう?と思うのです。

『帰去来』というアルバムを聴いたときにね、「あ、歌いたいな、、、」とふっと思ったんです。

こんなに繊細で、こんなにデリケートな世界を、あたしなりに、女っていういろいろな、、、様々な感情とかそういうものの中で、さださんの歌の世界をとらえたらどんな風になるんだろうなって、

ちょっと興味深かったっていうのかな。
それでぜひぜひ歌いたいっていうことでまたお願いしたんです、、、(以下略)

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.7.20放送より)

百恵ちゃんの心境の変化をまとめると

♪シングル「精霊流し」/グレープ(1974年4月発売)

私に歌える世界ではない 
(「ひと夏の経験」発売が同年6月。15歳)

♪シングル「朝刊」/グレープ(1975年8月発売)

私に歌える世界ではない 
(「ささやかな欲望」同年9月発売。16歳)

♪アルバム『帰去来』/さだまさし(1976年11月25日発売)

 ぜひ歌いたい 
(「横須賀ストーリー」同年6月発売。
「赤い衝撃」同年同11月発売。17歳)

♪「秋桜」/山口百恵(1977年10月1日発売)

やっと歌った! 

こんな感じでしょうか。

なぜあの時期か?

さださんの作品を
「ぜひ歌いたい」と思ったのは、

ひとつには、
男性ふたりのデュオ「グレープ」から、
シンガーソングライター
「さだまさし」に変わったことで、

同じ一人の歌手として
歌ってきた百恵ちゃんにとって
ぐっと距離感が近くなった
というのはあるのかなと思います。

それから
「横須賀ストーリー」との出会い。

阿木燿子さんの詩の世界を歌って
「自分の歌にめぐり会えた」
という気持ちになった。

これからもどんどん「自分の世界」を
表現していきたいという
より積極的な気持ちが
固まっていたとも考えられます。

「女としてのさまざまな感情を」
と言っているのは、

17歳という年齢からすると
どうでしょう?
やはり大人っぽいでしょうか

21歳の百恵ちゃんが
17歳の自分を回想して
発言しているので
誤差はあるかもしれません。

しかしこれも
「横須賀ストーリーのあと」
ということを考えるとうなずけます。

今度は別の作家による作品で
女性の感情を表現してみたい
という気持ち。

わくわく感が伝わってくるような
気がします。

また、
私生活での心の変化も
あったかもしれません。

完成を待ち続けた「秋桜」、作品依頼の経緯は?

「お願いします」って言ったのがたしか8月ぐらい。
次の年が明けて、結局6月に出来てきた。

ですから約10ヶ月かけて
さださんが創ってくださった歌だったんですよね。

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.7.20放送より)

ふと気づきましたが、
『帰去来』発売1976.11から
「秋桜」発売1977.10まで

実質10ヶ月。

この間の10ヶ月間が
「完成を待ち続けた」期間だとしたら、
スケジュール的に無理無理なのでは?

また「お願いしたのが8月ぐらい」だと
『帰去来』発売日の前になってしまう。

百恵ちゃんが『帰去来』を聴いたのは
一般のレコード店に
商品が並ぶ前なのかもしれない。

それか単に時期の勘違いか?

『プレイバック 制作ディレクター回想記音楽「山口百恵」全軌跡 』川瀬泰雄氏 著、の

「秋桜」のところを見てみると
また別の経緯が書かれていました。

我々スタッフは、常に新しい作家を探し続けていた。

阿木さん・宇崎氏という素晴らしい作家夫婦と出会い、「横須賀ストーリー」ができあがっても、百恵の可能性を広げていくために相変わらず貪欲に新しい作家を探し続けていた。

そんな時、ホリプロの当時の百恵のプロデューサーの小田信吾氏(その後ホリプロの社長に就任)から、さだまさし氏が百恵に興味があるらしいので、
さだ氏のお父さんに連絡をとってみてくれとの伝言が入った。
(中略)
最初にさだ氏に会ってから作品ができあがるまで約1年がたっていた。

『プレイバック 制作ディレクター回想記 音楽「山口百恵」全軌跡 』川瀬泰雄 著。P201、202より引用

「さだまさし氏が百恵に興味があるらしい」
と、かなりびっくりする記載が。

しかもさださんのお父様もご登場。

このあたりのこと、
我々一般人は与えられた文言だけで
事実を想像するしかない。

少しもやもやは残りますが。

恋愛に例えると、
「百恵ちゃんが
さださんにラブコールを送った」

「いや、さださんから百恵ちゃんに
人づてに恋文を差し入れ、
返歌は父の方へとのたまった」

「結局、相思相愛、
以心伝心ってやつだろう」等々

うわさ好きな庶民が
あれこれ憶測するといったところでしょうか。

「山口百恵」と「さだまさし」

二人のアーティストの間に
百恵プロジェクト一同が橋を渡し、
素晴らしい作品を世に放つことを実現させた。

詳細はどうあれ
「山口百恵」は
こうして成長していき
多くの果実を実らせ

今も歌い継がれている(!)
ということなのだ
(とまとめるしかない)

私も、百恵ちゃんとさださんは
抜群の相性だと思うんです

提供曲は「秋桜」と
そのB面「最後の頁」の2曲だけ

どうしてこんなに少ないの?

とても残念です。

百恵ちゃんはさださんの歌を好きって?
「そうでしょそうでしょ!
絶対そうだと思った!」なんです。

美しき日本古来の姿、
文芸的な雰囲気、
端正な言葉。

ひかえめで、
しみじみとした感動が隠されている。

そういう世界こそ
百恵ちゃんに似つかわしく
百恵ちゃん自身
好きだろうなとわかる

余談ですが
ラジオで百恵ちゃん

「『帰去来』というアルバム」
と2度言います

とても不思議なのですが、
やっぱり私、
百恵ちゃんの発言そのものに
「力」を感じるんです

「帰去来というアルバム」

耳から入ってくるこの言葉に
魔法にかかったように
「帰去来というアルバム」を
聴きたくなってくる。

というか
「わかりました。すぐ聴きます!」
って犬がしっぽ振ってる状態

怖いといえば怖い

全幅の信頼を置いている
のかもしれない、理屈ではなく。

今だったら
カリスマ性などと表現するのかな

山口百恵の私への影響力のすごさ
振り返ると
全て良い結果になっていると思います。

ありがとうございます。

不思議なことのようで自然なようでもある
自分と「同質」な
なにかをかぎつけて関心を持っている以上

その人からの影響は
自分にとって滋養分となる

また別の所でも
この話をするかもしれません

部屋で「秋桜」を口ずさむ?素の百恵ちゃん

この回のラジオ「夢のあとさき」、
私にとって「おお~!」と

小さく身を震わせるほどの
発見がありました。

また「秋桜」についての
百恵ちゃんの語りを紹介します

この歌は、歌を辞めてからのあたしにとっても、ホントに「横須賀ストーリー」と同じぐらいね、ひとつの財産になる歌なんじゃないかなって、そのぐらいの重みを感じてるんです。

ですから本当に、嫁ぐ前の日に、この歌をそっとね自分の部屋で口ずさんでみたいな、なんて今ふと思ってますけれども。

あたしにとって本当に大事なお嫁入り道具のひとつかもしれません。
「秋桜」聞いてください。

(ラジオ・ニッポン放送「夢のあとさき」/パーソナリティ:山口百恵1980.7.20放送より)

百恵さんはこう言ってます
「嫁ぐ前の日に、
この歌をそっと
自分の部屋で口ずさんでみたい

自分の部屋で口ずさむ!

だれにともなく、
気持ちの表現として純粋に
「秋桜」を口ずさむ

そうしてみたいと語っている

生活の一場面で
素の山口百恵として

嬉しい。

百恵さん、
私がひそか~に提唱している

「純粋に歌うこと」のメンバーに
ちゃんと入っていたのではないか!

まとめ

  1. ラジオ番組「夢のあとさき」は1980年4月から10月引退まで「語る百恵」のラストラン。
  2. さださんの作品を歌いたい!さだ氏も百恵に興味!不朽の名曲「秋桜」誕生。
  3. 素の百恵ちゃんにも、そして私たちにも「歌をそっと口ずさむ」という大切なひと時がある。

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