はじめに~「百恵ちゃん」を聴いてきた私

「山口百恵」を聴く夜

百恵ちゃんの「アルバム曲」が特に好きです。

LPレコードはリアルタイムで予約、購入し、1曲1曲大事に聴いていました。

例えば、、、

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『ドラマチック』

『二十歳の記念碑/曼珠沙華』

『A FACE IN A VISION』

『L.A.BLUE』

『リサイタル-愛が詩にかわる時』(ライブ)

・・・・・・

これらは私が中学2年生から3年生の頃に出たレコード。

毎晩、ベッドに入ってから、ヘッドホンで聴いていました。

A面が終わると布団から起き上がり、B面にひっくり返し針を置く。

B面ラストまで終わっても眠くならない夜は、もう一度A面に針を置いて聴き返す。

いつのまにか眠ってしまったあくる朝は、レコード針はターンテーブルから自動で戻ってくれて、盤の回転は止まっていた。ただ小さな赤い電源だけが灯ったままになっていた。

『リサイタル-愛が詩にかわる時』。

このライブアルバムは特別に好きで、一人の夜は至福の百恵時間となってゆっくり過ぎていった。

学校で逃げても逃げてもまとわりついてくる悩みや雑多なものすべては、ここで浄化された。静かで満ち足りていて、なによりも自分らしいひとときでした。

孤独な一個人が感じた「山口百恵」

今あらためて思うのは、百恵を聴くことがなぜ自分らしかったのだろうかということ。

共感、共有できる何かって?

百恵作品にこちらが幻想を重ねたゆえのことかもしれない。それでもいい。どんな幻想を見たのか。百恵ちゃんの何がそうさせたのか。

インターネットや書籍等を探せばでている「山口百恵情報」を、ここに繰り返し書く必要は感じません。自分の経験から得たもの、孤独な一個人が感じたことをできるかぎり綴りたいと思います。

「山口百恵」の光がつくる反射、影のかたち、深さ。時代性、におい。その一端でも、ただひとりのキミに伝えることができるなら。

臨床百恵学をやろうではありませんか。

【ご了承ください】敬称を略すことがあります

※ブログ内で時折山口百恵さんの敬称を略すことがありますが、ブランド・ジャンル・仕事の総称などなど、、、包容力のある指示語という意味合いで使用しています。

「ちゃん」や「さん」ではどうしても違和感のある表現になるため。また文字の視覚的な佇まいも考慮して。ご了承ください。

別の記事へ

⇒ 山口百恵「秋桜」

⇒ 山口百恵「さよならの向う側」

⇒ 百恵ちゃんの魅力とは~「初恋時代」

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